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青森県女性ロールモデル 事例16【石田まり子さん】

 

行動に移すことが大事
やらないで後悔するより、やって反省

分野:就業・キャリアアップ、起業

株式会社タカシン 取締役 兼務 事業開発本部本部長
石田 まり子さん (平川市)

チャレンジのきっかけ

楽な仕事でも、いろいろな事を考える
 独身時代は美容師をしていましたが、結婚・出産を経て、子どもたちが保育園に通っていたため日曜日が休める仕事を探しました。当時の美容院は、週1日しかも月曜日か火曜日の休みしかなく、お盆・お正月は書き入れ時なのでほぼ休めません。実質的な理由で、美容師に戻るのは無理。他の仕事でも、面接で「保育所に入っている子どもが3人いる」と言うと、なかなか採用してもらえませんでした。31歳の時にパートで入社したのが株式会社タカシンでした。電子部品の製造工場で30~50歳くらいの既婚女性が多い職場でした。誰でも出来るような簡単な組み立て作業が多く、初めてでしたがこんな楽な仕事があるのかと思いました。暇な事が耐えられず、いろいろな事を考えるようになりました。
 入社当時は一日中単調な作業でしたが、1日の出来高目標を立てたり、いかに早く組み立てられるかを考えたり、遅れている作業の手伝いなどをしているうちに、ラインリーダーとなり、2年後には「フルタイムで働いてみませんか」と勧められ正社員となりました。育児が大変な時期とも重なり家に帰ると戦争で、仕事をしている方がずっと楽でした。せわしない毎日を過ごしているうちに、子どもたちがあっという間に成長し手がかからなくなったように感じます。

チャレンジのみちのり

会社のプロジェクトに夢中になる
 正社員となった頃弊社では、製造業の基本である現場改善に取り組み始め、大手企業の改善例を参考にしたり、講習に参加したりしました。「知恵と行動力」という改善プロジェクトが立ち上がり、効率アップを目標とした無駄取り・ラインの整流化・治具化・システム化・5Sなどあらゆる改善を目的とした発表会が月1回実施されるようになりました。チーム毎に定期的にミーティングを開き、問題点を探し、改善のための「案」を出し、実施・確認を行い、効果のあった案件を発表します。このプロジェクトは、全員のスケジュールを合わせることが難しかったり、コロナ禍の影響で改善シートのみの作成で発表会は中止となっていましたが、令和5年5月より再開し、現在は2ヶ月に1回発表会を行っています。私は自分の思い通りに作業机を改造したり、ラインの流れを変えることが面白く、その取り組みに夢中になり、効率よく作業してもらい結果が出るとさらに改善を考えるというサイクルが出来てきました。全部は成功しませんでしたが、次々とアイディアが浮び「やってみてから考える」のスタンスで進めていました。社員が、「知恵と行動力」で必死に改善してきた結果、従業員の質も向上し、社長や営業が苦労して仕事を取って来れるようになると、いつの間にか1,000人を抱える会社に発展しました。そして私はチームリーダー、グループリーダーと段階を踏み、入社して約20年で部長となりました。部長となる少し前ぐらいから、なんとなく男性と同じように扱われはじめ、やっと同じラインに立てている感じがしました。

1年間休職しカナダ留学へ
 部長となったこの頃「このままで私の人生終わるの、いいのかな」と思うようになりました。何かしてみたいという想いがどうしても消えず「海外へ行きたい」と1年間休職してのカナダ留学を決意しました。子どもたちは早めに自立していたため反対はなく、会社へは「たぶん社長(現会長)は、認めてくれるだろう」と若干思いつつ、それでも迷惑をかけることになるので、クビを覚悟で休職願を出しました。社長からは「石田さんらしいな、行ってくればいいよ」というお言葉をいただき、ありがたく許可していただきました。本当は語学を身につけて、戻って来て海外の人を雇うときに利用できればいいなという思いはあったのですが、そこまでは全然無理でした。行った当初はもう辛くて辛くて、向こうの人はそんなに親切にしてくれるわけでもないし、「どうしよう」と思った場面も何回もありました。ホームステイ先の家に帰るのがストレスになってしまって、半年ぐらいシェアハウスを借りて、日本人の子たちと一緒に住んだりしたこともいい経験です。留学中は大変なこともたくさんありましたが得たものも多く、多様性というか文化の違いを学びわかったことが自分自身に変化をもたらしたと思います。帰国後は、元々ハッキリ言うタイプではありましたが、人の目をあまり気にせず自分の意見をよりはっきり言うようになり、周囲からも「石田さん、すごい変わったね」と言われるようになりました。幸いなことに元の製造部部長に復職することが出来て、休職を認めてくれた会社に恩を返すためにも、残りの人生はこれまで以上に一生懸命頑張ろうと思いました。

他業種への参入と従業員とその家族への想い
 復職した時、以前やっていた仕事が他の人に受け継がれていたため、何かやらなければと営業統括本部で仕事をすることになりました。社内では4年程前に「製造業1本だと、10年後、20年後に生き残れるか。何か別のことも始めるべきではないか」と研修を受けた先の講師の方から提案があり、社員それぞれが考え始め計画するなど、他業種参入の機運が高まっていました。そんな中で私がふっとひらめいたのが「食」でした。1,000人の従業員の中には、血圧が高いとか糖尿病や通風など何かしらの病気を抱えた人が結構います。「従業員とそのご家族も、ずっと健康でいられるように食べ物から変えていけたら」と、身体に良い食べ物を作りたいと思いました。最初に頭に浮かんだのが「豆腐」で、その当時いた従業員と2人で、「あ、これ美味しいね」「じゃ、これ出す?」みたいな感じで、ゼロから始めました。自分たちで豆腐づくりを試行錯誤する中、おからが大量に出来たので、なにか作れないかとおからケーキのようなものをつくりました。これが美味しく出来て、すぐに社長のところに持っていき食べてもらったところ「うん、美味しい、美味しい」と言っていただき「じゃあ、これでいきましょう」と即決で豆腐は諦め、おからを材料にしたものをつくることにしました。地元で評判のお豆腐屋さんで豆腐を買うついでにおからも買って来たら、見た目から何から全然違うおからでした。このおからでドーナツをつくってみたら、他のおからで作ったものとは全然感じが違い、大豆臭さが全くありません。このおからでいくしかないと思いました。パパッと話がよく変わるので、付いて行けないとよくみんな言います。「さっきこう言ってたのに、そっちになった?」みたいな感じの話もあります。スピード感がないと嫌なんです、すぐにやりたい。おからでドーナツを作り美味しくできたことをきっかけにすぐに方向転換を図り、カラダ想いのSOYFOODS専門店『luv U』が誕生しました。

チャレンジしてみて

積極的に進めていきたい
 SOYFOODS専門店『luv U』は、無人販売所柏木店が開店して2年、宮城県名取店が開店して1年が経ちましたが、ネット販売を含めてまだまだ軌道に乗っていません。ネットでの販売は、いかに広告を打っていくかというところがなかなか厳しくて難しいところです。地元でもそこまで周知されていないので、まだまだ広報活動が足りないと感じています。各店舗近郊へのポスティングはスタッフを含め自力で行っています。ポスティングは面白く、撒けば撒くほどお客様が来店してくれます。そこでリピーターが出来てくれると良いのですが、そこまで至っていません。宣伝活動真っ最中で、WEB広告、イベント出店、営業活動など今後も継続していきたいと思います。止まるとすぐに売り上げに影響し、次から次へと新しいものを入れていかないとすぐ下火になります。どこまでも攻めていかないと継続するのも難しい。作ることは簡単ですけど、売ることはすごく難しいです。新商品の開発や新たな店舗開店など、積極的に進めていきたいと考えています。

今後が楽しみな事業
 今年からは会社のプロジェクトで農業も始めました。石がゴロゴロのような農地で土づくりから始め、とりあえず食べ物が作れるかどうか検証中です。イメージとしては、海外の珍しい野菜を普通に育てるか、二次加工的なやつに走るかまだ決まっていません。何かやらないと当たるかどうかもわからない。失敗もあるでしょうけどそれでもやってみようという感じです。素人集団でのスタートですが、今後が楽しみな事業です。

これからチャレンジする女性へメッセージ

器用に手抜きをして
 結婚・出産で前に進めないこと、家事と子育てと仕事の両立はなかなか思い通りにならないこともあります。過ぎてしまえばあっという間で、器用に手抜きしていって欲しいです。あまり真剣になりすぎると、やっぱり行き詰まってくるので、手を抜くところは抜かないとやれなくなってしまいます。私自身ほぼ年子が3人だったので、手を抜くしかやりようがなかったというか、当時を振り返ると大変だったとは思うけれど、でも本当にあっという間に過ぎました。

本人の気持ち次第で
 あと、女性は「もう一歩先に」「そこは我慢してここに進もうよ」というところが男性に比べると弱いかな…お給料のこともあるけれど、そこをずっと続けていくと、「ここまで来るよ、次はここまで来るよ」という話をするんだけど、今を我慢できないですよね。どちらかというと家庭を優先してしまい、お子さんたちが大きくなってしまうと「そこまでしたくない」ような、満足してしまっている感じも受けます。本人の気持ち次第でやる気になれば誰でも、50歳を過ぎてからでも始められます。別に目標を立てなくても、手が空いたときに「何かやらないと」みたいな感じで、焦らなくて大丈夫です。

行動あるのみ
 定年ぎりぎりまでもっと働きたいという気持ちですが、やっぱり後継が育ってきていないというのが一番気になるところです。固定観念にとらわれず、柔軟な発想力を持ち、それを行動に移すことが大事です。以前読んだ本の中に「いろいろ勉強すると知識とか発想力は身に付くけれど、行動力だけは勉強しても付かない」という風な一節がありました。行動した先は楽しい、考えているときも楽しい、行動中も楽しいし、結果が出たらきっともっと嬉しいはずです。今はまだ結果が出ていないので、結果がすべてと思っているところもあり、ちょっとジタバタしてます。それでも自分のやりたいと思ったことをカタチに出来る場があり、すごく幸せだと思いますし感謝しています。自分が率先して行動することで必ず回りも協力してやってくれるようになります。やらないで後悔するより、やって反省しましょう。
(令和5年7月取材)

【プロフィール】
結婚・出産後、株式会社タカシンに入社。平成26年製造部部長、平成28年執行役員を兼務。平成28年1年間休職しカナダに留学。復職後、平成30年取締役兼務営業統括本部本部長。
令和3年luv Uを社内起業する。令和4年取締役兼務事業開発本部本部長。

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