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青森県女性ロールモデル 事例12【蒔苗 志野さん】

願いを言い続けて、あきらめないで。
同じ感性や目的を持った人を大切に。

分野:起業、NPO・ボランティア、まちづくり

ダンスインストラクター、マルチコーディネーター
蒔苗 志野 さん(外ヶ浜町)

チャレンジのきっかけは?

何かをプロデュースするのが好き
 青森市内の短大で保育士になるために、音楽、ダンス、子育て、メンタル面など多岐にわたる学びと実践で資格を取得し、卒業後に保育園に就職しました。その後は専業主婦で子ども2人の育児に専念していました。子育て中は公園や健診で出会ったママ友と家にある不用品を持ち寄って交換会、フリーマーケットの先駆けのようなことをしていました。また、お母さんたちが料理教室や講座などを受講している間、子どもを預かる仲間保育のようなことやベビーシッターなどもやっていました。
 長男が幼稚園を卒園する頃、謝恩会でお母さんたちの出し物をプロデュースすることになり、私がタイムスケジュールを組み、希望を聞いて役割分担など決めていきました。会長という役割よりは裏方の方が好きなので、全ての動きがわかるいい経験になりました。

チャレンジのみちのり

踊りたい
 その後、PTA活動などもやりましたが、30歳頃に転機がありました。「自分がこれまでやったことのないことをしよう」と思い立ったのです。小中学生の頃から絵画と吹奏楽が好きでしたが、それ以外のこともやってみたいなと。ねぶた囃子をやってみたいと思い、始めることに。それから、中学校の時の創作ダンスが楽しかったことを思い出し、「踊ってみよう」と思いました。初めはエアロビクスを習い、ジャズダンス、ヒップホップと続けてチャレンジしました。ダンスを習うとそれぞれの基本の動きをマスターできるし、先生たちの教え方なども学べます。自分も楽しいし、上達していく人たちを見て、嬉しく思いました。そのうち、自分でダンスを創作したい気持ちが高まっていきました。そこで、よさこいチーム津軽もつけんど蒼天飛龍を立ち上げ、振り付けの指導者になりました。同時期に三内丸山遺跡の「縄文」に関わり、縄文人のメイク担当とダンサーとして、東京ドームのイベントで踊ったりしました。

テレビ番組に出演して吃音を克服
 その後、YOSAKOI合同演舞隊free dance performance舞鼓童というよさこいチームをつくり、AOMORI春フェスティバルなどでダンスを披露していました。さらに、テレビ出演の依頼を受けて、生涯学習インストラクター1級として出演しました。テレビ出演では、人のまねではなく、自分で創作する、自分で体験して、自分の言葉で伝えるという経験ができ、とても楽しかったです。小さいころからずっと吃音だったので、テレビで何かを伝える時もドキドキして仕方ありませんでしたが、克服できました。また、子どもたちのダンスクラブの指導時にはわかりやすく、はっきり伝える訓練を、高齢者にははっきり、ゆっくり伝える訓練を重ねていきました。
 また、テレビ番組の仕事を続ける中で、市民センターの講座の講師を依頼されたほか、青森市にオープンしたねぶたの家「ワ・ラッセ」で跳人体験ショーの司会とミスター跳人コンテストの司会を依頼されるようになりました。これまで子どもたちや高齢者にダンスを教えるときにどう伝えればわかりやすいか、楽しくできるか、盛り上げられるかを考えてやってきていたことが、司会業に活かされました。

次々増える活躍の場と学びと提供できること
 保育園や小学校、障害者施設、高齢者施設での運動やダンスの指導が始まり、ダンスセラピーリーダーの資格を取得しました。ダンスセラピーリーダーは県内で私一人だけです。よさこいを続けるうちに、「よさこいだから、いつも元気」でいいのかなと疑問が出てきて、ダンスと心理学を融合するものがあればと思って調べ、ダンスセラピーに行きつきました。ダンスセラピーはムーブメントセラピーなので、動きながら自分を癒していく不思議な感覚になれます。重度の障害がある人向けの運動では、ダンスセラピーを活かしてその人の持つポテンシャルに働きかけるようなプログラムを考えて実践しています。
 そして、40代半ばになってベリーダンスに出会い、青森出身で神奈川県在住の先生から、ベリーダンスの体の使い方や音楽、文化、歴史、世界観、宗教など今までにないたくさんの魅力を教えてもらい、とても新鮮でした。
 また、私の祖父が歌人だったこともあり、外ヶ浜町では川柳が盛んなので、私も川柳に挑戦し、新聞や広報誌の公募川柳に応募し入賞したほか、高齢者向けの川柳講座の講師をしたこともありました。

令和の初日に外ヶ浜町に移住
 子どもたちがすでに自立していたこともあり、一人で移住を決め、令和の初日に外ヶ浜町へ移住しました。縁あって移住したこの土地が、住んでいる方々にとって住みやすく、死ぬまで「この外ヶ浜町で生活して楽しかった」と言える土地であってくれたらいいなと思っています。実際、私は外ヶ浜町での暮らしが楽しくて仕方ありません。何といっても景色がいいし、食べ物がおいしい。今まで小学校や福祉施設などに定期的に訪問してダンスなどを教えていた地なので、人も知っているし、みんな声を掛けてくれるのも嬉しいです。
 これまで、自分の意思で何かにチャレンジするよりも「○○だったらいいなー」と思ったことに関して周りにヒントが隠されていたり、出会うべき人に出会ったり、準備されていたりすることが多かったように思います。そのため、全てスピード感を持って現実になっていき、白黒の地図に少しずつ色がついていくかのようです。何事もスピードが速く、楽しく進めています。

チャレンジしてみて

外ヶ浜の可能性と自分の可能性を信じて「楽しさ」を発見していく
 外ヶ浜町に移住して、気になることがありました。蟹田駅前に放置自転車が多いことです。60台近くありました。この放置自転車をなくしたいという思いで、鉄道会社や役場に掛け合い、撤去をお願いしました。3,4か月後、関係各所のおかげで無事に撤去され、きれいな駅前になりました。自分で「ここを変えなければ」と声を上げたことによって、物事が動いていく様子を目の当たりにした瞬間でした。
 最近、外ヶ浜町の大平山元遺跡が「北海道・北東北縄文遺跡群」として世界遺産に登録される見通しになりました。その時に、きれいな駅前でお客様を迎えられると思うと嬉しいです。地元に貢献するため、大平山元遺跡もりあげ隊の活動のほか蟹田駅前観光PRプロジェクトへの参画、「外ヶ浜町美化ピカ委員会」を立ちあげ、地域の清掃活動に取り組んでいます。このほか、これまでも取り組んでいた町内の小学校でのダンス指導、ベリーダンス、よさこい、障害者ダンス指導、高齢者施設の認知症予防講師など楽しく過ごしています。

あおもりウィメンズアカデミーの受講と野の珈琲舎主宰
 令和元年に外ヶ浜町で開催された青森県男女共同参画センターの女性人材育成事業「あおもりウィメンズアカデミー地域女性リーダーコース」を受講しました。町内外の女性たちと出会い、外ヶ浜町を活性化するイベントを企画するなど、
 「チームこの指とまれ」のメンバーとはその後も交流が続いています。講座で企画提案した廃校を利用したクラフトイベントは町の協力も得て、仲間と開催に向けて準備を進めていましたが、新型コロナウイルス感染症の感染拡大により、開催を断念しました。代わりに仲間たちと布マスクを手作りし、外ヶ浜町、今別町の小中学校に配布する活動を行いました。皆がそれぞれにその時できることを考え、話し合い、活動できることが楽しいと感じています。
 また、外ヶ浜町に移住してきて、気軽にコーヒーを飲んで話し合える場所があればいいなぁと思っていたら、周りの人も同じように感じていたので、カフェ「野の珈琲舎」を開設することにしました。保健所に食品衛生管理のことを聞き、2,3か月でオープンできました。今は平舘にあるおだいばオートビレッジの管理棟の中で、週末にオープンしています。町内に唯一あるコーヒー豆屋さんでコーヒーの淹れ方を教えていただき、オリジナルの豆も焙煎してもらい、提供しています。週末は町の人が時々来て、気軽におしゃべりしながらコーヒーを飲むという時間が流れています。

外ヶ浜おもてなし美化ピカ委員会で町をきれいに、関係人口の増加に一役
 昨年、コロナ禍で町から出られない状態が続き、この時期だからこそ何かできることがあるのではないかと思い、一人で観瀾山の清掃に行きました。その後、私の想いに賛同してくれる有志と一緒に草刈りと清掃を行い、町長も参加してくれました。草刈りをして汗をかきますが、きれいになった景色を見た時に、すごくさっぱりした気分になりました。このさっぱりする気持ちを他の人にも伝えたくて、町の補助金を活用して、「外ヶ浜おもてなし美化ピカ委員会」を立ち上げ、事業に賛同する人たちと活動することにしました。町内の草取りや清掃に参加してくれた人には飲み物とタオル、軍手、町内の温泉の共通入浴券をプレゼントし、非常に人気です。また山の清掃をした後には、ねぶたの笛を吹いて、山に響き渡る音色を参加者がその後も「あの笛はよかったなぁ」と何度も話してくれます。
 学校や地域の人と活動に取り組むことによって、地域はきれいになり、人とも知り合うことができ、関係も深まったり、何より自分が楽しむ姿を子どもたちや若い世代に見せることができます。町外から参加する人もいるので、関係人口も増えていくと思います。

私のやっていることは誰かにとってのサードプレイス
 人は幸せな時はそれほど考えることも少ないかもしれませんが、自分が不幸だな、辛いなと思う時に、頭の中を切り替える速さが必要だと思います。私の場合は、例えばダンスをする、ダンスをして嫌になれば、笛を吹く。囃子をやる。それでも辛ければ絵を描いてみる。絵を描くときはじっと座っていなければならないので、じっとして気が済めば、また動いてみようと切り替わります。不幸と思うことやアクシデントに遭った時に自分の気持ちと向き合うこと、それはチャンスでもあります。幸せな時には気づかないことに気づくチャンス。できるだけ頭の中を切り替える抜け道をつくっておくことが、健全な心理をつなげていくためのポイントだと思います。
 ある方に「あなたのやっていることはサードプレイス(自宅でも職場でもなく、自分にとって居心地のよい場所)ですね」と言われました。このサードプレイスに逃げ込むのもいい。そしてまた自分のところに帰る。途中の景色を見て、さっぱりするのもいいし、それぞれの方法を見つけてほしいと思います。

これからチャレンジする女性へメッセージ

声に出すことで同じ感性、目的を持った人が集まる。その人たちを大切に
 「楽しい」と思ったことも「辛い」と思ったことも必ず自分の糧になります。そう思えるのは10年から20年後くらいだと思います。自分の中に、「抜け道」をつくっておくと上手にストレス解消ができます。
 私がいつも周囲の人たちに、「願いを言い続けて!あきらめないで!自分ができなくても、その声を誰かが拾ってくれるから!」と言っています。声に出すことで同じ感性、同じ目的を持って集まってくれる大切な人がいるので、その人たちを大切にしてください。そして今、まだ眠っている自分の中の自分に声をかけて、引き出しを増やしてみてはいかがでしょうか。
(令和3年6月取材)

【プロフィール】
青森市出身。短大卒業後、保育園や百貨店に勤務。専業主婦を経て、ダンスインストラクター、SHINO’sプロダクション代表、マルチコーディーターとしてさまざまな活動に取り組む。日本ダンスセラピーリーダー、野の珈琲舎主宰、外ヶ浜美化ピカ委員会代表、令和元年から青森県男女共同参画審議会委員を務める。

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