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青森県女性ロールモデル 事例7【岩舘 千歩さん】

「私なんて」と思わず、社会人になってからも
新たに何かにチャレンジすることをためらわないで

分野: 就業・キャリアアップ/専門職・研究職

青森スポーツクリエイション株式会社
 岩舘 千歩さん(青森市)

チャレンジのきっかけは?

体を動かすことが好き。体育の素晴らしさを伝えたい。
 もともと体を動かすことが好きで、小学校の時はバトントワリング、中学校ではソフトテニス、高校では器械体操に部活動で取り組んでいました。その中で、中学生の時に「体育って素晴らしい」と思う出来事がありました。クラスでバレーボールのチーム戦をすることになったのですが、私のチームはあまり運動が得意ではない人たちばかりで構成されました。しかし勝ちたい気持ちが強かった私は、プレー中「いいよいいよ!」とか、例えミスをしても「大丈夫、次頑張ろう!」などと声がけを意識して行いました。すると、運動が苦手な人ばかりのチームだったにもかかわらず、対抗戦で勝つことができたのです。
 私はそれまで「自分が体を動かすことが得意だから体育が好き」だと思っていたのですが、運動が苦手な仲間が笑顔で喜び合う姿を見て、「体育ってチームワークや達成感を感じられる素晴らしい教科だな」と感じるようになりました。この時をきっかけに、将来は体を動かすことの楽しさを伝える仕事に就きたいと思うようになりました。

「これしかない!」と思ったチアリーディングとの出会い
 高校卒業後は日本女子体育大学へ入学しました。さまざまな部活動の紹介があり、「チアリーディング」を初めて目の前で見ました。見た瞬間「これしかない!」と思い、すぐにチアリーディング部に入りました。部員はほとんどが未経験者ということがわかり、安心して始められました。ただ、体育大だけあって身体能力が高い人が集まっているので、チアリーディングが未経験でも覚えたことを表現することに優れている人が多かったです。
 難易度の高い技に挑戦するよりも、基本に忠実で誰が見ても美しくクリアな演技をすることを目標に練習を続け、試合でもノーミスの演技を常に心がけていました。その結果、ラッキーなことに、全日本学生選手権大会優勝、選抜選手権大会優勝をはじめとして多くの大会で入賞を果たしました。

チャレンジのみちのり

地元八戸市で体育教員として一歩を踏み出す
 大学4年生のときに、教育実習で母校の高校に行き、人に教えることの楽しさや中学時代のバレーボール対抗戦でチームワークを築いた記憶が蘇りました。教育実習でバレーボールを教えたのですが、生徒から「今までバレーボールが好きではなかったんですけど、岩舘先生の授業が楽しくて、少し好きになりました」とメッセージをもらい、やはり体を動かす楽しさを教える仕事をしたいなと強く思いました。
 翌年、八戸学院短期大学の幼児保育学科で専任講師として体育教員の一歩を踏み出すことになりました。

学園祭の大幅な集客増につながった「岩舘ダンスカーニバル」
 幼児保育学科では、学生が将来保育の現場で子どもたちに教える体育や遊び、体づくりの運動などを教えるため、自分自身がいろいろ勉強しながら学生に教える日々でした。ゼミでは、自分たちでダンスをつくったり、幼児向けの体操を考えたり、戦隊もののダンスや振り付け、構成をつくるという活動を行っていました。
 毎年秋に開催する学園祭では、ゼミ生が自分たちで考えたダンスを披露する「岩舘ダンスカーニバル」というステージ発表があり、担任である私も一緒に出演していました。対象となるお客さんに合わせて、曲や演技を構成し、途中MCを入れたり、衣装も手作りしたり、とにかく楽しませることをコンセプトにやっていたら、それが受けて年々お客さんが増えていきました。

想いを新たに、パフォーマーとして転身を決意
 学園祭でのお客さんの反応がとてもよくて、そういう経験をした時に、「自分の体が動くうちに、自分がパフォーマーとして、それを仕事にできたらいいな」という思いが徐々に大きくなってきました。しかし、せっかく教員になったのに、今さら違う仕事を、しかもダンスで食べていくというのはほんの一握りの人しかできないと言われているのに、やっぱりやめておいた方がいいのかなと堂々巡りを繰り返しました。性格的にモヤモヤしたまま教員を続けるというのが嫌で、何より学生に失礼なのではないかと思い、思い切って学科長に「楽天のチアリーダーのオーディションを受けたい。受かっても受からなくても教員を辞めます」と決意を伝えました。

楽天のチアリーダーとしてのスタートは被災地訪問
 「チアリーダーとして活躍したい」という新たな夢を叶えるため、2011年の1月にプロ野球東北楽天ゴールデンイーグルス公式チアリーダー東北ゴールデンエンジェルスのオーディションを受け、合格しました。
 3月末のプロ野球開幕に合わせて、チームの練習などのため、八戸市と仙台市を往復する日々が続く中、3月11日に東日本大震災が発生し、滞在していた仙台市で被災しました。 プロ野球の開幕は4月に延期となり、最初のうちはチアリーダーも自宅待機を伝えられましたが、楽天野球団は地元のプロスポーツ球団として地元のために何かできないかを考え、被害の大きかった被災地を訪問することになりました。ベースボールスクールのコーチは、模範を見せたり子どもたちとキャッチボールをしたり、チアリーダーは避難所生活が長引く高齢者と一緒に体操をしたり、子どもたちとボール遊びや縄跳びをしたり、また津波で勉強道具を流されてしまった小学生に文房具セットを届けに行ったりしました。こうして私のプロとしてのチアリーダーのスタートは、プロ野球の公式戦ではなく、被災地を訪問することから始まりました。

衝撃を受けたプロ1年目
 被災地を訪問した際、テレビで見ていた被害の光景が実際に目の前に広がり、私自身も仙台という初めての土地での心細さもあり、泣いてはいけないと思っても、涙が止まりませんでした。自分よりも辛い思いをしている人がたくさんいる避難所に、チアリーダーが行って誰が喜ぶのだろうか、受け入れてくれるのだろうかと不安を抱えていましたが、訪問先では、皆さんが口々に「よく来てくださいました」「今年も応援しています!」「落ち着いたら球場に応援に行きます」と言ってくださり、この触れ合いの経験が、後のプロとしてのチアリーダー時代を支えてくれました。
 実は、この被災地訪問の場で、当時チームを統括していた方に、私の立ち居振る舞いや姿勢などことごとく指導されるという出来事がありました。この状況で、このような場でもこんなに注意されるのかと正直驚きを隠せませんでした。ずっと体育会系の世界で過ごしてきたということもあり、当時の私はどちらかというと荒っぽい動きが多かったのだと思います。チアリーダーとして、どんな時も美しい立ち居振る舞いを心掛けなければならないことを、今なら理解できますが、その当時はなかなか理解できず、「プロってこんなに厳しい世界なのか…」と衝撃を受けたことを今でも覚えています。
 社会人を経験したことのない年下のメンバーは「社会とはこういうものなのだろう」と素直に思えることが多かったと思いますが、私は経験がある分、「もっといいやり方があるのではないか」といった反発心も生まれることもありました。また、パフォーマンスも「これくらいやればできるだろう」と安易に考えていたところが、ミスにつながることもあったり、チームのルールも多く、全てを理解し、「チームのため、ファンのため」と思えるようになるまでには、他のメンバーより時間がかかったように思います。メンタルは強い方でしたが、このままやっていけるのか不安が募ることもありました。

楽天優勝、日本一に!この経験が次なるきっかけに
 2年目からは球団のチアリーダーの事務局に勤務して、パフォーマンスの構成を決めたり、SNSでの発信などの仕事もするようになりました。チームのリーダーの1人にも抜擢され、もっと風通しのいいチームをつくることを決め、無駄な上下関係をなくすなど、改革に乗り出しました。
3年目には、球団は発足以来初めてとなる日本一に輝きました。優勝した時、楽天ファンだけでなく、ほかの球団のファンの方々、東北そして日本中から、「優勝おめでとう。楽天ありがとう」とお祝いの言葉をいただいたことが、心に残っています。優勝パレードにも参加させていただき、選手だけではなく球団一体となったエンターテイメントが、素晴らしい感動や元気を多くの人に届けられることを実感しました。それまで、日々チアのことで頭がいっぱいで、果たして自分が貢献できているのか実感がなかったのですが、日本一を経験したことでやっとそれに気付くことができ、私にとってはとても感慨深く生涯忘れることのできない出来事となりました。
 4年目には、現役を引退してチームの統括に就任しました。チームを客観的にサポートしたり、マネジメント業務を担ったり、リスク管理や苦情対応など、さまざまな裏方の仕事を経験したことが、その後の青森での仕事に活きています。

地元青森県をプロスポーツで盛り上げたい
青森県女性ロールモデル 岩舘 千歩さん 日本一を経験した時に感じた思いが次につながっていきます。地元青森でも一人でも多くの人にプロスポーツの素晴らしさを知ってほしいという気持ちが大きくなりました。楽天が日本一になった2013年に、青森県初のプロバスケットボールチームとして誕生した「青森ワッツ」のチアダンスチーム「ブルーリングス」のディレクターに就任しました。東北でプロスポーツを盛り上げていきたいという思いで、楽天球団を退団する2015年3月までの2年間、青森と仙台の2か所で活動を続けました。
 ブルーリングスのディレクターとして最も気をつけていることが、地元青森の人に受け入れられるチアダンスチームをつくること。アメリカのNBAやNFLのチアリーダーをそのまま真似するのではなく、衣装のデザイン、ダンスの曲、振り付け、すべてにおいて小さい子どもからお年寄りまで好感を持っていただけるよう、常に考えました。「清潔感を大切に、かつ元気でダイナミックな青森に根ざしたチア」がブルーリングスの良さだと思っています。

3年目から見えてきたブルーリングスの変化

青森県女性ロールモデル 岩舘 千歩 さん 青森ワッツが誕生して最初の2年間は、エンジェルスとの掛け持ちだったため、まだまだ本腰を入れられていなかったと思います。3年目に青森に戻り、青森ワッツの運営会社「青森スポーツクリエイション株式会社」に入社して、ブルーリングスの指導に専念することにしました。プレーヤーとチアスクールのディレクターも兼務し、毎週県内3市(青森市・弘前市・八戸市)でチアスクールも開講しました。

 ダンスのパフォーマンスや構成、見せ方などをこれまで以上に練り上げ、指導やプレーが存分にできるようになりました。その結果、このシーズンは、ブースターと共にチーム、会場を盛り上げ、最も印象に残ったチアチームへ贈られる「bjリーグベストパフォーマー賞」を受賞することができました。この受賞で、初めて自分がやってきたことに少しだけ自信がつき、「これからも自分を信じてブレずにやっていこう」と思えるようになりました。

チャレンジしてみて

これまでの経験がすべて結び付いて今がある
 ブルーリングスのプレーヤーとして3年目の2017-18シーズンが始まった当初、「今シーズンで現役は最後にしよう」と決めていました。自分が現役の時は、とにかく自分がしっかりやらなければ、チームを引っ張らなければという思いでがむしゃらにやっていましたが、チアリーダーの文化がなかった青森県に少しは文化を根付かせて、チアリーダーという種を撒いて芽を出すところまでやれたかなと思うようになりました。メンバーは私が指示を出さなくても動けるようになり、私がプレーヤーとして模範を見せるのはそろそろ終わりにきていると感じました。そこでスパッとプレーヤーを辞めて、その後はディレクターに専念しています。私は、踊ることはもちろん好きですが、それ以上に自分が指導するメンバーや子どもたちが舞台で輝き、それを見たお客さんが笑顔や元気になってくれることが本当に幸せで、そこにやりがいを感じています。中学の時のバレーボール対抗戦の時に感じた思いに通じますね。

選んできたことに後悔はない
 今思うと、教員を辞めて、まったく違う人生を歩んだことに後悔したこともないし、自分がそのときやりたいと思ったことや「きっとこっちに行った方が自分が輝けるだろう」という自分の思いを信じて動いてきてよかったと思います。
ブルーリングスでディレクターとして7年やってきて、チアスクールの子どもたちも大きくなって、スクール生だった子がトップチームに入るまでになりました。これまでみんなで作り上げてきたブルーリングスの良さや青森県の良さをメンバー自身がしっかり理解して、すべて取り入れたチームになってきていると思います。私がいなくてもそれを引き継いでいけるチームが何年先までも続いていったらいいなと思います。もちろん時代は変わっていくので、根底にある思いを大切に、青森県ならではのプロスポーツの文化を今後の子どもたちがつくっていってくれたらいいなと思います。

これからチャレンジする女性へメッセージ

青森を離れて気づく青森の良さ/社会人になってからもチャレンジして!
 特に子どもたちに伝えたいのが、一度は地元を離れてみてほしいということ。私もそうでしたが、出てみないと、青森県のいいところも悪いところもわからないと思います。出たからこそ気づいた青森県の美しさ、そして地元に貢献したいという気持ちを大切にしてほしいと思います。
また、「私なんて」と思わず、社会人になってからも新たに何かにチャレンジすることをためらわないでほしいです。また周りもそれを応援してほしい。興味のあることには、いくつになってもチャレンジして、新たな自分を発見できることは本当に素晴らしいと思います。人生楽しまなければ損です。私は、自分の選んだ道を突き進んだことで、これ以上ない充実した人生を今まで送れてきたと思うので、これから将来を担っていく若い世代の人たちにいくつになってもチャレンジすることを伝えたいと思います。
(令和2年5月取材)

【プロフィール】
青森県八戸市出身。高校卒業後、日本女子体育大学に進学したことをきっかけにチアリーディング競技と出会う。大学卒業後、八戸学院短期大学幼児保育学科において専任講師(体育教員)となる。2011年、プロ野球東北楽天ゴールデンイーグルス公式チアリーダー東北ゴールデンエンジェルスのオーディションを受け、合格。2013年まで現役生活を送り、2014年には同チームの統括としてチームをまとめる。同時期に、青森県初のプロスポーツチームとして誕生した「青森ワッツ」チアダンスチーム ブルーリングス ディレクターに就任。2015年4月から青森ワッツの運営会社「青森スポーツクリエイション株式会社」に入社。チアダンスチームブルーリングスディレクターに加え、チアスクールのディレクターとなり、県内3地区でチアスクールを開催、指導にあたっている。

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