青森県女性ロールモデル 事例25【西村 裕子さん】
移住先の階上町でデザイン事務所を開業し、レンタルスペースを運営している西村さん。
事業立ち上げのきっかけやその想いをお聞きしました。
分野:就業・キャリアアップ、起業、専門職

自分の道は自分でつくる
まずは小さく一歩踏み出すことから
手習い舎オーナー
西村 裕子さん(階上町)
宮城県出身。階上町在住。
デザイン事務所どんクリを開業。レンタルスペースのオーナーでもある。
趣味は畑仕事。自費出版ZINE「軒先と縁側」エッセイ連載中。
WEB上で展開する階上町非公式キャラクター「はしかみどんこちゃん」としても活動中。
チャレンジのきっかけ
美術科のある高校でさまざまな作品づくりに取り組むなかで、ポスター制作などのデザインに興味をもち、仙台の専門学校にすすみました。
就職氷河期の終わりの方にあたる私たちの世代は就職難で、地元仙台ではなかなか就職先が見つからず、東京の印刷会社に就職しました。
印刷会社では、デザイン部門で本格的にデザインを学びました。学校では学べない、現場だからこそ学べることがとても多く、忙しくも充実した日々を過ごしました。
二度ほど転職をして、ある製薬会社のインハウスデザイナーとして仕事をしていたころ、世の中は変わりました。
リーマンショックで業界全体がダメージを受け、職場での待遇がつぎつぎと変わっていくなか、ふと夫の実家のある階上町のことが頭をよぎりました。
☆階上町へ移住する決意
結婚前から高速バスに乗って何度も遊びに行った階上町。何度行っても楽しく、居心地のよさを感じていました。
「青森で田舎暮らしをしたらどうなるだろう」
気になって青森の求人情報をハローワークで調べてみました。すると、東京と青森では可処分所得、つまり手取り額がほぼ変わらないことが分かり、驚きました。
都内での生活が長くなるにつれて、休日は夫と2人で静かな郊外でのんびりと過ごすことが多くなってきたこと。在宅勤務ができる時代に、このまま都内で暮らしていく意味があるのだろうかと考え始めるようになったこと。いつかのんびりと田舎暮らしがしたいと漠然と考えていたこと。
「もしかして、移住するなら今かもしれない」
思い立ったらすぐに動かずにはいられなくなり、夫と相談して2人で階上町の義理の両親のもとへお願いにいきました。
「階上町に帰ってきてもよいか」「実家にお世話になってもよいか」と。両親は快く承諾してくれました。
35歳を節目に、会社を退職。16年間の都内での生活に区切りをつけました。憧れていた田舎暮らしがやっとできる喜びのなか、妊娠がわかりました。
チャレンジのみちのり
移住してからしばらくは、育児に専念しました。
ある日、新生児健診で出会った保健師さんと雑談するなかで、パソコンのできる臨時職員を探していることを知り、「私で良ければ」と、急遽引き受けることに。子どもを保育園に預けての勤務がはじまりました。
その後、ご縁があって在宅勤務形態でデザイン会社に転職することができ、チラシやポスター、求人広告、SNSなど幅広い業務を任されました。続いて地元企業で広報担当として働くなど、何度かの転職を経て、現在の働き方へと落ち着いていきました。
☆個人事業主として開業
地元企業に勤務する傍ら、個人事業主としてエディトリアルデザインの仕事を続けました。少しずつ実績を積み重ね、最終的には独立し、事務所を立ち上げました。
エディトリアルデザインとは、パソコンを使って、印刷物のデザイン・レイアウト・版下作業を行い、印刷可能なデータを作成する業務のことです。
デザイナーの仕事の中でも、ゼロからアイデアを生み出すクリエイティブなデザイナーとしてやっていくには、過去の作品や実績で自分の実力を証明する必要があるので、仕事を請け負うことは容易ではありません。
あくまで実力主義の世界なので、新規の仕事を請け負うときには、必ずポートフォリオというサンプルの作品の提出を求められ、これらをクリアしてはじめて仕事を請け負うことができます。このような時、これまでの数々の企業で学んだことがとても活かされていると感じます。
☆仕事に対する新たな思い
「仕事」「家事」「子育て」とマルチタスクをこなす日々がつづくなか、自分の中でまた新たな思いを抱くようになりました。
「自分の裁量で仕事を組み立てたい」
「より自由に表現したい」
都内で働いている時もうっすらと感じてはいたものの、だんだんとこの思いが強くなっていきました。
また、地域での様々な活動に参加することによって、デザインや場づくりが人と人をつなぐ力をもっていることを実感する機会があり、それを仕事として形にしたいと考えるようになりました。
☆新たな出会い
そんなある日、新たな出会いがありました。階上町の小中学校のすぐそばにある物件との出会いです。
「立地条件がとても良く、人が集まりやすい」
この物件に出会った瞬間、私の気持ちは動きだしました。
「仕事を自由に表現する場にできないだろうか」
「ここを人と人をつなぐ場として使えないだろうか」
これまでずっと探し続けていた問いの答えに、ようやくここで点と点をつなぎ合わせることができたのです。
思い立ったら即実行。すぐにこの物件を購入しました。
☆手習い舎オーナー
レンタルスペースには「手習い舎」と名付けました。だれもが何かを学ぶきっかけづくりの場として活用してほしいという願いからです。
元道場だった一階のスペースはテナントとして、現在そろばん教室とカンフー教室、コンディショニングトレーニング教室、ピアノ教室に貸しています。ほかにも広いスペースを利用して、お絵描き会を定期的に開催したり、外部の方の主催でハンドメイドマルシェを開催。今年からはフリーマーケットも定期的に開催する予定です。
何事も継続することが大事だと感じています。
さらに二階のスペースに学習塾もスタートしました。共働きしている親御さんが多いなか、ここに学校帰りの子供たちが通える塾があったら、親も子も安心して過ごすことができるのではないかと思ったからです。
このレンタルスペースの運営を開始し、収益の柱を複数持つことによって、継続的に活動できる基盤づくりができました。

☆レンタルスペースの未知なる可能性
今後は、クリエイティブを育てるワークショップなどの、次世代に向けた創作・表現の機会づくりなどにも力を入れていきたいと思っています。
アイデア1つでまだまだたくさんの可能性をもっているこのフリースペース。多種多様な人たちが足を運び、人と人とのつながりの場になればと考えています。オンラインで多業種の人たちをつなぎ、交流できる企画も検討中です。
自分がこれまで経験してきた楽しかったことを、まだ経験したことのない楽しそうなことを、次世代の子供たちや地域の方々に伝えることができるクリエイティブな場として提供できるよう、構想を練っています。
チャレンジしてみて
現在は、デザイン事務所で仕事を請け負い、レンタルスペースでは運営や企画業に携わっています。
収入源を一つに絞らず複数持つことによって、精神的な安定にもつながり、自分らしく長く続けられる働き方に近づいていると感じています。
自分で仕事をつくる働き方は、決して簡単ではありません。
「誰のために、何を届けるか」を常に考えるようになりました。
デザインや場づくりを通して、人の活動を支えることができたり、誰かの挑戦を後押しできたときに、大きなやりがいを感じます。

☆まずは自分でやってみる
世の中の動きにあわせて決断したことにより、理想的な働き方ができていることに自分でも驚きます。都内でそのまま暮らしていたら到底できなかったことばかりです。
私にとって移住は、場所を変えただけではなく、生き方そのものを変えてくれました。
また何か始めようと思ったとき、誰かに頼るのではなく、まずは自分でやってみるという選択をします。
最初に構想を練ってみて、自己責任でできる範囲から挑戦してみる。そして上手くいきそうだという感触がつかめたら、さらに広げていくことを考えて進めています。
これからチャレンジする女性へ
最初から大きく変えようとしなくても、小さくはじめて少しずつ積み重ねていくことで、自分なりの道はつくっていけると思います。人からどう見られるかではなく、自分がどうしたいかが大事だと思います。
また、「仕事」「好きなこと」「地元との関わり」を切り離さずに組み合わせることで、自分らしい働き方が見えてくることもあります。私自身、デザインの仕事を軸に好きなこと、やりたいことを組み合わせることによって、地域の人たちとのつながりがもてるようになりました。
不安な気持ちがあるときこそ、完璧な準備をしてから始めようとするのではなく、できる範囲のことからはじめてみることをおすすめします。
まずは小さな一歩を踏み出してみることが大切だと思います。
(令和8年4月取材)





