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青森県女性ロールモデル 事例11【山崎 順子さん】

一歩前へ踏み出し、自分で経験すると道が開ける

分野:就業・キャリアアップ、農林水産

田子町土地改良区事務局長
山崎 順子さん(田子町)

チャレンジのきっかけは?

女性第1号の転勤を経験
 高校商業科を卒業後、地元の食品会社太子食品工業株式会社に就職しました。初めに配属された本社電算課で2年経過した頃、「本社の外を見てみたい」と上司に伝えました。上司から「えっ?女性でもそんなこと思っているの?」と言われ、「はい」と返しましたが、その一言はずっと耳に残っています。「はい」と言ったものの、転勤に向けてどんどん事態が進んでいくと、「本当によかったのかな」と恐怖を感じてきました。しかし、「自分の経験になる」と言い聞かせ、盛岡の営業所に会社で女性初の転勤をすることになりました。女性の寮はなかったので、男性の寮に鍵をつけてもらい、そこから9か月間の期間限定で、盛岡営業所に勤務しました。本社の電算課では知ることのできなかった現場を知ることができ、とてもいい経験になりました。
 再び本社に戻り、経理課で主に支払いや社長決裁の必要な処理を担うようになりました。社長と接することが多く、身だしなみやマナー、道徳的なことなど社会人としての基本を叩き込まれました。事務職として優良社員賞も2回受賞しました。
 その後、結婚、出産を経て、子どもの急な発熱や病気対応、通勤なども大変になり、地元の田子町にある田子町土地改良区に転職しました。

チャレンジのみちのり

全くの異業種に事務職として転職
 平成4年、田子町土地改良区に職員採用され、働き始めました。農業に関わったこともなく、全く知らない分野でしたが、‘事務職’ということで採用になりました。当時は、パソコンではなくワープロでの文書作成、手書きの帳簿、台帳、図面作成も色鉛筆を使用しての作業でした。年配の事務局長に言われたことをまずやってみるという感じで、現場で何か不具合があれば事務局長に取り次ぐといった程度でした。また当時は、ほ場整備事業の真っ最中で、田子町は中山間の地形的なこともあるのですが、先進的にほ場整備を進めてきた地域でもありました。しかし、事務局長が定年退職した後は職員の補充がなく、先に就職していた年下の男性職員が事務局長になり、職員は私一人だけで事務を進めていくことになりました。今でいう働き方改革も何もなく、残業もたくさんある中で、3人の子どもの子育てや家事は夫の母頼みの日々でした。

晴天の霹靂だった事務責任者就任
 平成16年、定型的な事務のほか、電話、来客も事務局長に取り次ぐことが多かった頃、事務局長が突然の退職宣言をしました。私より1歳年下の事務局長だったので、私が1年先に定年を迎えるものと思っており、事務局長の下で庶務会計の業務を行うだけで、現場の業務は全く分からない状況でした。たった2か月で通常業務をこなしながら引継もこなすという人生最大のピンチ、まさか自分が責任ある立場に就くなんて、まさに‘晴天の霹靂’でした。
 平成17年、事務責任者という新たな立場としてスタートしました。初めの頃は、来所する組合員の「今日は誰もいないのか?」の言葉に心が折れました。私がいるのに、男性職員を探しているのです。とはいえ悩んでいる時間も立ち止まっている時間もなく、職員が多数いる職場と違い、私が動かないと土地改良区の仕事に支障をきたすため毎日が緊張の連続でした。無理やり表舞台に引っ張り出された「事務責任者」に女性ということだけで世間の耳目を集め、会議に出席するたびに意見を求められる始末。こちらも負けてなるものかと予習をして臨んでいました。まだまだこの業界は男性社会で、女性活躍の壁は厚く高かったです。

「女だから無理」の言葉に「女性の視点をフルに発揮する」と胸の中で連呼
 事務責任者に就任した時、当改良区の理事長が県土地連三八支部長も兼任していたため、支部の事務局も引き継ぐことになりました。理事長が「やらないうちに『やれない』というもんじゃない」と言い、「何かあったら自分が責任とるから、やってみろ」と言ってくれたので、頑張るしかないと思いました。各土地改良区の理事長は地元の名士など錚々たる面々。支部の事務は代々男性が行っていたため、女性第1号となった時、「女だから無理」と言われました。「誠心誠意女性の視点をフルに発揮する」と胸の中で連呼しながら懸命に役割を務めました。後にこの支部での経験が私の大きな財産になりました。

土地改良は農業を支える大事な仕事、やりがいを感じる日々
 土地改良区は、土地改良事業の実施や、同事業によって作られた農業用水路などの施設を維持管理している農家の人たちの組織です。組合員から賦課金を徴収し運営しています。農業用水等の水管理時の緊急事態には生きた心地がしません。地球全体の環境異変もあり、特に中山間地域では大雨による被害も多く、緊急連絡とともに現場へ急行します。そこは時には熊の糞が転がる現場だったり、「たった今、熊が走り抜けた」と聞かされて、命の危険を感じる時もありますが、組合員は「今」ここに私が来ること、対処することを待っています。一刻も早く現場にたどり着き、興奮気味に被害を訴える言葉に誠心誠意耳を傾けます。
 土地改良の仕事はとてもやりがいのある仕事だと思います。国民の食を担う農家の皆さんと一緒に農業を支える土地改良区は重要なポジションであるとともに縁の下の力持ちです。

次世代を担う子どもたちに伝えたいこと
 当改良区では、次世代を担う子どもたちに土地改良区が果たしてきた役割、機能を伝え農業体験を行う事業にも取り組んできました。この事業は、改良区の任意で行うため、当時職員は私一人と臨時職員一人しかいない状況で、非常に負担となるものでしたが、理事長の「将来を担う子どもたちに農業や土地改良区の役割を伝えていかなければならない」という方針の下、企画立案・準備を日常業務の合間に行いました。地元の小学6年生の児童たちに、ほ場整備された田んぼの農道での歩測体験やトマトのもぎ取り体験、ダムの仕組みの説明など農業の素晴らしさを伝える活動に取り組みました。町、県の協力を得て、長年活動を続けられたことに感謝の思いをもっています。現在は町が主体となってこの事業を実施していますが、講師として赴き子どもたちに農村整備の大切さを伝えています。この活動は将来農業に携わる子どもたちに必ず記憶に残ると信じています。

激務でも果たしたかった両親の闘病介護
 忙しい日々を過ごしてきましたが、父の長期闘病の際は、後悔したくない一心で往復2時間かけて岩手県の病院へ毎日見舞いを続けました。母が八戸市内の病院に入院した際は仕事を終えてから病院へ向かい、病室に泊まり、朝病院から出勤する生活を続けました。当時、子どもたちは小・中学生だったので、夫の両親に助けられて、両親の見舞いと仕事を両立することができました。子どもたちは「我が家のおふくろの味はおばあちゃんの味」と言っていて、返す言葉がないほど仕事中心の日々でした。当時土地改良区では、ほ場整備事業の真っ最中で地元説明会は休日返上で行われていましたが、どちらも手を抜くことなく気合いで乗り越えました。その後、夫の両親、私の両親と4年続けて看取り、仕事を続けてこられたのは家族のおかげであり、本当に感謝しています。

チャレンジしてみて

‘あおもり水土里ネット女性の会’の会長に就任
 その後、私に再び大きな表舞台が待っていました。平成30年、青森県土地改良事業団体連合会と県内土地改良区の女性職員を構成員とした‘あおもり水土里ネット女性の会’が設立され、私は初代会長に推挙されました。県内には土地改良区が当時77あり、うち会員になった女性職員が所属する土地改良区数は43で、設立時の女性会員数は70名いました(現在は73名)。 全国で11番目、東北では2番目の設立でした。その初代会長を引き受けることは、私の中で身震いする出来事であり、私より先輩の女性職員の方々もいる中で重責を感じ、「船は漕ぎ出した。元には戻れない」の心境にとにかく前へ進むしかありませんでした。とは言ったものの初めは何をすればいいのか、他県の情報もあまりなく、レールのない道を無我夢中で進みました。今は、水土里ネット女性の会の活動が楽しくて仕方ありません。

土地改良区の女性職員の意識高揚、コミュニケーションの確立
 あおもり水土里ネット女性の会設立の目的は、研修や情報ネットワークを確立し、交流を図りながら、意識の高揚と女性の活躍推進に寄与していくことです。水土里ネットは土地改良区の愛称です。設立後は国が示す‘強くてしなやかな農業・農村’に‘水土里ネット女子力’を貢献できるよう自分たちの視野を高めるためさまざまなセミナーを実施してきました。中でもほ場整備関連施設の視察は、今まで事務所の留守番をしてきた女性職員が外に出るという画期的な研修でした。水土里ネットに所属している女性職員とのコミュニケーションが確立され、女性が一歩前へ踏み出す最高の機会になりました。各土地改良区の理事長はじめ職場の理解を得られ、女性職員を送り出してくれる皆様に感謝しています。そして何より設立準備委員会からの役員とともに企画しアイデアを出し合い、協力し助けられていることに感謝です。

県内外で活躍の場が広がる
 現在は、青森県が推進する高収益作物である玉ねぎを活用する食育推進事業の採択を受け、会員及び地域児童を対象に収穫と調理体験を実施しています。食の安全安心と農地、土地改良は密接につながっているのを感じています。
 また、民放ラジオの夕方5時時報のアナウンスの依頼を受け、女性職員によるアナウンスで土地改良区の役割などを伝え会員の自信と会の知名度も向上しました。さらに、これらの活動をFacebookで発信したことで、山形県や愛知県から講演依頼があり、先進事例を紹介してきました。そこで私たちの活動を理解していただけたこと、そこから生まれた交流など人生初の体験は私の大きな財産となっています。

これまでをふりかえって、そしてこれから
 土地改良区に就職し、前事務局長の突然の退職により一変した世界は、全く予想していないことでした。平日夜の会議や休日の会議が頻繁にあり、自分の時間を持つことができませんでした。たまに休日自宅にいても落ち着かず、働いていないことへの罪悪感を抱くような日々でした。それでも子どもたちは私の働く姿を見ていてくれました。今まで仕事を続けてこられたのは、家族の協力、職場の環境、さまざまな出会いと人に助けられてきたことが理由だと思います。
 そして、仕事の面では、長い歴史の中で先人たちが苦労して田んぼに水を引き、景観を守り環境に配慮していくことも、先人たちから引き継いだ仕事を良い形で次世代へ継承していくことも私たちの仕事だと思っています。農業を取り巻く環境も担い手不足の問題もどこの地域でも聞かれる大きな問題です。今後も農業・農村の活性化に寄与できるよう、さまざまな活動に挑戦し、‘水土里ネット女子力’を高め、農業の魅力、水土里ネットの役割を発信していきたいと考えています。

これからチャレンジする女性へメッセージ

自分の目で見て、自分の耳で聞く
 私は、常に言葉に出して言っていることがあります。それは、‘自分の目で見て、自分の耳で聞く’こと。単純な言葉ですが、そのためには一歩前へ勇気を出して踏み出し、自分で経験することだと思います。そこから道が開けると信じています。さまざまな環境下で生きていますが、無駄な経験はないし、そこから世界が広がっていくと思います。女性がキラキラ輝いていたら、家族にとっても職場にとってもプラスになり、さらには農業の魅力アップにもつながると思います。
あおもり水土里ネット女性の会のモットーは‘明るく、楽しく、あまり気負わず’です。ぜひ皆さんも一歩前に踏み出してさまざまなことにチャレンジしてみてください。そして皆さん青森県産米を食べましょう。明日の活力のためにお米を食べましょう!
(令和3年5月取材)

【プロフィール】
高校商業科卒業後、太子食品工業株式会社に入社。平成4年から田子町土地改良区職員。平成25年から同事務局長。平成30年にあおもり水土里ネット女性の会設立、会長に就任。

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